交渉は行き詰まっていた。
この交渉を成立させねば、A国にもB国にも未来はないことは明らかだった。
それにも関わらず、交渉は行き詰まっていた。
超大国であるC国の「分割して統治せよ」という戦略は、隣り合った隣国であるA国とB国の間に、修復不可能なほどに大きな対立の種を残したのだ。
やったことはさほど複雑なことではない。
C国が、自らの植民地だったA国とB国を独立させる際、国境線のいくつかの地域の領有権を曖昧にしただけなのだ。
そして、A国とB国には、それらの地域が自国領だと言うことを暗に示す文書を与えた。
その結果、A国とB国は、それらの地域の領有権が自国にあると主張し、血みどろの争いが繰り返されてきた。
もっとも、そのような争いの先陣を切るのは、たいていの場合C国の工作部隊から金を受け取った運動家だった。
彼らは領有権が曖昧な地域に行き、相手国を非難しつつ自国の旗を立てた。それが、相手国によって「領有権の侵害」として排除されると、そこで地域紛争が起きるという仕掛けである。
だが、そうやってA国とB国が相互に相手を憎み合って戦っているうちに、世界情勢は変化してしまったのだ。
超大国のC国は没落し、群雄割拠する戦国時代に突入してしまった。
その代わりに領土的野心を見せたのが、新興国家のD国だった。
A国にもB国にも、単独でD国の最新式の軍隊に立ち向かう力はなかった。C国が健在なら、C国に助けを求めるという手があったが、それもできなかった。
唯一の方法は、A国とB国が手を結んで共同でD国に立ち向かうことだった。
だが、そのための交渉はすぐ行き詰まって動かなくなってしまった。相互不信はそれほど根深かったのだ。
A国の首相は閣僚を集めて相談した。
「君たち、何かよい考えはないかね?」
しかし、閣僚達は何も言わなかった。
B国と融和しようとしたこの内閣は、既に世論の総攻撃にあって崩壊寸前だったのだ。
何か大胆な政策を打ち出すよりも、まず保身を考えるべき時期だったのだ。
だが、1人だけ例外がいた。
それは宗教大臣だった。
未だにシャーマニズムを信奉する者も多いA国では、宗教と政治が完全に分離されてはいなかったのだ。それゆえに、伝統的な宗教を統括する大臣というポストが内閣にもあったのだ。彼は、国家宗教の宗教団体から送り込まれた大臣なので、内閣総辞職でも留任できると決まっているのだ。
宗教大臣は言った。
「我が国には、この状況を打開する手段はありません。しかし……」
「なんだね?」
「東洋の黄金の国には、交渉ごとを成立させるネゴむすめという妖怪がいると言います」
「分かった。すぐにその妖怪を呼びたまえ!」
さっそく、美味しいネズミ山盛りを報酬として、ネゴむすめはA国にやって来た。
「ネゴむすめだニャン☆!」
ネゴむすめは、今流行りの萌えファッションと萌えポーズでアピールしたが、A国で萌は流行っていなかったので、誰もがポカンと見ているだけだった。
ネゴむすめは、さっそくA国の首相に取り入った。いつも執務室の首相の膝の上に座り込んで、あれこれお菓子等の他愛ないおねだりを繰り返した。
ネゴむすめは、何しろ思春期前の可愛い女の子の姿をしていたので、首相はすぐに気に入って可愛がった。
だが、気に入られたと察すると、ネゴむすめの要求は肥大化していった。
A国の全て戦闘機のノーズアートにネゴむすめを描くように要求されたとき、さすがの首相もぶち切れた。
「そんなこと、できるわけがないだろう!」
だが、要求が受け入れられないと、ネゴむすめは徹底的にゴネた。
「やだやだ、ノーズアートに描いてくれないとイヤだ!」
それを見て首相は思った。
いつまでも交渉の仕事を始めないどころか、ゴネまくる。
こいつは、ネゴむすめじゃない、ゴネむすめだったんだ!
宗教大臣は呼ぶ妖怪を間違えたに違いない。
即刻首相はネゴむすめを官邸から追い出した。
「いいもん。B国に行くんだから」
ネゴむすめは、すぐにB国大使館に駆け込んだ。
B国大使館は大騒ぎになった。
何しろ、妖怪である。
だが、ネゴむすめがずっとA国首相の膝の上で過ごしていたと知ると、すぐ対応が変わった。何しろ、敵国首相の内情をよく知る妖怪である。
ネゴむすめは、すぐに国賓待遇でB国に招待された。
そして、可愛いネゴむすめは、すぐにB国の首相にも気に入られ、執務室の膝の上で過ごすようになった。
B国首相は、ネゴむすめからA国首相の話をいろいろと聞かされた。
特に、ノーズアートの話題はB国首相をいたく面白がらせた。
「よろしい! 我が国の戦闘機のノーズアートとして、全てネゴむすめを描かせよう」
こうして、B国の戦闘機の戦闘機のノーズアートは全てネゴむすめになった。
それを知ったA国首相は激怒した。
「これでは、B国首相よりも私が度量の狭い男のようではないか!」
そして、A国首相は、自国の全ての戦車にネゴむすめのマークを描くように指示すると、公共のTVを使ってネゴむすめに戻ってくるように訴えた。
次の日、ネゴむすめはA国大使館経由でA国に戻っていた。
それを知ったB国首相は、全ての軍艦にネゴむすめを描かせた。
今や、A国とB国は、いかに多くの兵器に、いかに多くのネゴむすめを描くかという静かな戦争を遂行しているようなものだった。
その結果、内閣支持率はどちらの国でも大幅に低下していた。
A国とB国の内閣支持率がどん底に落ちたとき、新興軍事大国のD国は、攻略のチャンスと見た。そこで、D国はA国とB国に向け、軍隊を送り込んだ。といっても、両国と同時に戦うわけではなく、1国ずつ潰して占領していく計画だった。
だが、A国とB国に近づいたD国軍が見たのは、一面にネゴむすめを描いた戦闘機や軍艦だった。
「むむ。どちらの国の兵器か区別がつかん」
A国とB国の領海に入れば、どちらの国の兵器であるかはおおむね把握できるものの、公海上で迎撃に出てきた部隊に関しては、全く区別が付かなかった。
そこで、やむを得ずD国軍司令官は命じた。
「A国でもB国でも構わん。変な妖怪の絵を描いた敵は全て無差別に攻撃せよ」
一方、無差別に攻撃されたA国軍とB国軍も、実はお互いに敵味方識別が上手く行かないという問題を抱えていた。
「ともかく敵は共通だ。共同して戦え!」という認識が最前線に広まった。
あれほどいがみあっていたA国とB国の軍隊は、うやむやのままに共同でD国軍に立ち向かう形になった。
こうなると、ネゴむすめのマークは、敵味方識別の最強の手段となった。このマークを付けた相手は、常に助け、助けられるに値する仲間になったのだ。最前線で共に戦うことで、A国とB国の将兵には徐々に尊敬と連帯感が生まれていった。
そして、彼らから突き上げられる形で両国政府も融和の方向に動いた。何しろ、最前線では両国の部隊が相互に弱点を補いながら何とかD国軍の侵攻を阻止しているのだ。相互協力をやめろとは言えない。
A国とB国の永久平和協力条約が締結された会場に、ネゴむすめは現れた。そして、両国首相に大量の美味しいネズミをねだった。
両国首相は喜んでネゴむすめに最上級のネズミ(中央市街地のゴミをたっぷり食べで丸々太ったネズミばかりだった)を与えたという。
あらゆる交渉ごとを成立させる最強の交渉人とされる妖怪ネゴむすめは、仕事を完了させ、報酬を受け取って故郷に帰っていった。
(遠野秋彦・作 ©2007 TOHNO, Akihiko)
★★ 遠野秋彦の長編小説はここで買えます。